フラクタルとカオス、そして東方

上海アリス幻樂団の日記で公開されている永夜抄の4面以降の弾幕
左側のフラクタル曲線は樹形フラクタルとして知られている。
そしてその以前の日記で"カオス"という単語が飛び出している。
折角なのでこれらをネタにして雑考を進めてみた。
またしても偏った見解になっていると思うので、肩肘張らずに読むのが良いでしょうか。




フラクタルは、フランスの数学者、マンデルブロが導入した幾何学の概念である。
多少粗い表現で定義するならば、以下のようになるであろう。
"ある図形がその如何なるサイズの断片を切り出しても、その断片が図形全体と自己相似性を満たす時、その図形はフラクタルである。"
要は断片が切り出した大きさによらず、もとの形状を再現しているならばフラクタルであるということでよい。
このフラクタルは自然界でよく見かけることができる。雲や海岸線、山脈などの生成、樹形やブロッコリー、雪の結晶などである。
このようなフラクタル図形を与える関数系というのも幾つか求められている。
(そもそも、この樹形フラクタルが描図できている時点でその存在を確認できよう)


一方、カオスとは荒っぽい表現で行けば以下のようになるだろう。
"決定論的な系が予測不可能な(有限範囲での)挙動を示すとき、その現象をカオスという。"
ここでいう決定論的な系とは、微分方程式や漸化式など初期条件によって解が決定可能な関数系だと思っていい。
しかし、微分方程式や漸化式を用いて系の法則を表現するためには、試行対象となる系に応じた初期条件を与えてやる必要がある。
関数系の解を求めるために必要な初期条件の微小変化に対して予測される解が得られず、一見すると無秩序な挙動を示すもの、それがカオスである。
与えられた初期値のわずかな変化に対して関数系が鋭敏な反応を示すこと、それがカオスを形成する要因でもある。


さて、カオスとフラクタルの関係は一体どうなっているのかを考えてみるとする。
カオスの視点で行けば、自然を科学で「分析」することが重要なのだろう。
一方、フラクタルの視点から捉えれば、自然を理論によって「合成」することをターゲットにしているのだろう。

カオスとフラクタルはまったく別の現象というわけではなく、お互いに密接な関係を有していると推測できる。


さて、これらを東方と(半ば強引に)絡めてみよう。
(以降は、カオスが物理的に何を表すか、とかフラクタルの定義は何か、とか学問的な話になっていないはずです(汗)。)


東方で言えるカオスとフラクタルの混在はやはり弾幕が第一に挙がるであろう。
弾幕を表現する幾何模様は、ゴッホなどの芸術作品とも同レベルの感動と印象を与えることがあるだろう。
ゴッホなどの絵画にもフラクタルの要素が筆捌きなどで現れていることも多いのだが)
その絶妙なバランスを少しでも変化させた瞬間、その美しさは喪失してしまう。
その様な個性とは単純な関数・初期条件で表現できるはずもないだろう。
キャラクターの個性を表現する弾幕、そのキャラクターの個性という絶妙な初期条件のもとに成立しているのがあの幾何学模様であろう。
弾幕結界の第五波などは、紫のもっている胡散の凝集形といっても良いのかも知れない。)


他にもカオスとフラクタルを表現しているものが音楽なのだろう。
ある単一の周波数を持つ音波の振幅を考えた時、その変化というのは一見すると無秩序であろう。
しかし、音波同士の重ね合わせとその時間変化、つまり鳴っている音全体を捉えた時に初めて楽曲として認知できる。
それと同時に、それらの音を構成する要素が楽曲を彩る要素となり、楽曲全体の持つ世界観を各音がきちんと内包することになる。


もしかしたら永夜抄というゲーム自体がカオスとフラクタルの固まりなのかもしれない。
キャラクターの個性や音楽など、永夜抄を形作る世界、それ自体がカオスであり、フラクタルなのかもしれない。
(zun氏はカオスなゲームと呼びたがっているようだ。)
永夜抄の"抄"の字は抜き出した書き写し、という意味がある。
これは何かと自己相似性を有したフラクションとなりうるかもしれない。


さて、この自己相似性を有する大元とは何かを考えてみると………やはり東方・幻想郷へと行き着いてしまうだろう。
幻想郷の持つ世界観は永夜抄でも脈々と受け継がれている(それは当然か)。
東方STGという名称を冠するにふさわしい作品になるためには、そのSTGの上位に東方が存在しないといけない、
永夜抄は東方の世界観と自己相似性を有した関係でなければならないだろう。
別の言い方をすれば、東方のフラクタルである永夜抄は、そのどの要素を抜き出しても東方的である、という事にもなるだろうか。

キャラクターの個性や弾幕、音楽、バックストーリーなどそれぞれの微分値を読み出しても、それは永夜抄フラクタル図形であり、そして東方のフラクタル図形である。


そして、この自己相似性という概念は二次創作という単語に置き換えることさえできるかもしれない。
大本となる東方と自己相似性を満たした断片、その断片こそが東方の二次創作作品となる。
そうして考えれば、東方永夜抄が東方の二次創作であり東方STGであることの説明ともなりうるかもしれない。
その他の二次創作も、東方と自己相似性を有した断片であり、東方を表す関数系に代入すべき初期条件の微小な変化によってもたらされた物と見ることができるだろうか。
(そして二次創作者の与えたパラメーターが一様でないからこそ、それぞれの東方に二次創作者の個性がにじみ出てしまうのかもしれない。)
初期値に対して敏感な応答をする関数系である以上、それそれの初期値を実験する興味・意味が出てくる。
それが新たな二次創作作品を生み出す力となるのだろうか。




カオスの立場で東方を「分析」し、フラクタルの立場で東方を「合成・再構築」する。
これぞ東方と二次創作の関係なのかもしれない。




書いてみて、やはり今回も激長文&偏見満載な内容に(大汗