永夜抄 〜 Eastern Night.

今回のテーマはタイトル画面で流れるあの曲です。これで永夜抄体験版の楽曲について雑考が出揃うことに。
なるべくコンパクトに纏めようとしたが、気になる要素が多すぎてカナリの長文になってしまったようだ。


例にもれず夜一夜樂団の紹介コメントを一部抜粋

タイトル画面テーマです。
タイトル曲のイメージは前作から継続して同じ雰囲気になるように。
より幻想的になってきた感じがしますが、何せ幻想郷だし。

この楽曲では前作、東方妖々夢のメロディを一部借用したような旋律の動きをしている。
(その前作である妖々夢紅魔郷のタイトルテーマを踏襲しているのだろうが)
前作では冬ということで、音色に堅さと鋭さがあったように思えるが、今作ではむしろ穏やかに丸みを帯びた音色が鳴っている。
裏で鳴る反復音形の上に緩やかにピアノの旋律が乗り、ブラスがその旋律に彩りを与える。
ハイハットによる刻みが無いだけで堅さがなくなっているのだろうか。
そしてさり気なくではあるが強力な効果を発揮しているのが、3+3+3+2という突っ込み気味の変拍子(複合拍子)だろう。
ちょっとした事で止まってしまいそうな音楽に、軽い推進力を与える効果がある。
思えば永夜抄の楽曲で変拍子を採用しているのは、この曲だけかもしれない。
そしてブラスが加わった時に鳴るタムのリズムは3+3+3+2ではない、別の刻み方をしているようだ。
(なお、私には2+3+2+4というリズムで聴こえ、3+3+3+2と組み合わせてポリリズムとなって聴こえている。)



この楽曲はタイトル画面ということで、永夜抄の持つテーマみたいな物がにじみ出ている。
それが幻想郷と夜というテーマであろう。(隠されたテーマはステージが進むにつれ現れることになるはず)
笙の音をイメージしたブラスが高らかに鳴り響く様はまさにイーストエイジア、幻想郷である。
もともと永夜抄が東方STGとして製作されているのだから、これは必然であろう。
そして拍頭(拍子の一拍め)からずれて鳴り響くベンドしながらうねる音色は、夜を連想させる幻想パートであろう。
旋律の立ち上がりがボケるそれは、演歌で言うところの"コブシ"に値する。その彩りによってオリエンタルミュージックの風体を更に強める。
また、西洋の音階から微妙に逸脱するように音程を揺れうごかすことで、楽曲に重々しさと禍禍しさを誘起させることになるだろう。


さらに音のベクトルが全般的に下向きであることも、闇夜の重々しさを表現することに一役買っていることだろう。
実際、音自体が既存の(それまでの音楽を支配していた)調に当てはまらず、Bluesっぽく下ずって鳴っていたりする部分も見受けられる。
実はこの要素はこれまでの楽曲にも通ずるところがあるようだ。*1
これは旋律のつながりをより自然なものにするために、アプローチ音を和声付けする際、
テンションの取り方を通常の進行法則から(この場合はディミニッシュ系サウンドへと)変えているのである。
楽曲の一部にBluesっぽさが感じられるのはそのためだろうか。
なお、このような変格化されたコード進行を採用する事によって特徴のある転調を組み込む事ができ、
メロディに対してスパイスの効いたトーンを奏でることができるようになる。
(このようなコード進行の変格化自体は一般のR&BやRockなどでもお目にかかれるものでもあり、別段特殊な技法というわけでもないことを付記しておく。)


なお、音の持つ指向性という概念は理解しにくいかもしれないが、仮に同じ楽曲を演奏、歌唱した時でも
プレイヤーの心理状態によって、調性だけでは語れない部分で音の明るさ、響きの残り方の違いが出ることで確認できよう。
(実際試しに同じ歌を違う心理状態、天候、環境で歌ってみるといいかもしれない、恥かしいかもしれないがこれが一番手っ取り早い。)
そういう意味でも微妙なニュアンスを出すためには、いつも均一な音を再現することに長けたMIDIではなく、生音でなければならなくなってくる。
その結果かもしれないが、この楽曲はMIDI版の調性とWave版の調性で明らかに異なる。
MIDI版に比べWave版は約半音上の調になっているようである。


いろいろとあげてきたが、これらの多くは日本の音楽のもつ独特な拍子・調子感覚に符合するのだろう。
西洋の音楽では拍頭に重みがおかれることは良く知られていることで、それが前倒しになったり
拍の長さを動かすことによって重みを与える位置を変え、音楽に動きをつけている。
これはいわゆるシンコペーションと呼ばれる物であり、この重みのある音が何処にあるか、ということが西洋音楽では音楽を彩る要素になる。
それに対し日本の音楽では"間"を重要視する。
音が発音された後に生じる音の重さではなく、音が発音されるまでに蓄積されるストレスというものである。
荒っぽい言い方をすれば、恐ろしく強い裏拍での溜め、ということになるのだろうか。
(丁度これは日本人はもともと一拍子民族であることに対する裏づけかもしれない)


雅楽などでは音の立ち上がりにムラがあるのだが、その音に上で述べたことが集約されている。
発音するまでに蓄積されたエネルギーが音となって解放される。
極めと冴えで行けば、拍頭は冴えでしかないのであろう。
直後一度発音された音はしなやかに伸びていき空間を満たす。そしてすぐさま次のエネルギーを蓄積してゆく。
そしてエネルギーの蓄積度合いにより、一定以上のストレスが加わった際にコブシのような音の揺らぎが生じることもある。
また別の例で行けば日本の民謡にも舟歌があるが、大抵の楽曲では拍頭へ向かう瞬間に艪を漕ぐ動作が当てはまるような歌い方をしている。
舟歌としては斎田郎節や最上川舟歌などが好例か)
艪を漕ぐ動作は、船頭が舟を進める際に一番力を必要とする瞬間である。
それが舟歌にみられる音楽性とリンクしていることはおそらく間違いないだろう。
この日本独特の間の取り方が音楽を支配しているとみられる。


ここで楽曲の構成にもう一度話を戻すと、後ろでは3+3+3+2の拍子に従った音楽がシステマティックに流れており
前面ではブラスとピアノがゆったりとしたリズムで揺れ動いている。そして時折彩りを与える(ガムラン風の?)タムの音。
西洋のビートがうっすら聴こえる中で、いくぶん曖昧でアジア的な音が流れている、ということになるだろう。
この絶妙なバランスこそ、極東アジアたる幻想郷をよく描く要素なのだろうか。
そして絶妙なバランスの再現に成功したものが"永夜抄 〜 Eastern night"なのだろう。
この楽曲がzun氏がお気に入りに推す一曲となったのも頷けようか。




永夜抄………永き夜をうつすモノ………それは一体何をうつすのか?
人と妖怪の織り成す物語か、それとも誰もが持ちうる幻想か……………。
それが何かはまだ分らない。が、これだけは言えるであろう。
抄の名が示すは"一部分の書き抜き"、この物語もまた幻想郷の一部でしかないのだ。
月の満ち欠けが止まった夜の夢物語にすぎないのだ。
その物語の結末、幻想が私たちに何を見せるかは夏の終わりまで分らない。
そしてその結末の後に何が待ち受けているのかも、分らないのである。

*1:なお、この項目については、YS氏とのメールでのやりとりで気が付いたことである。
さらに、纏める上で知見の補完をも手伝っていただいたので、この場を借りて氏に感謝の意を述べたい。