千年幻想郷 〜History of the Moon

久しぶりに雑考を、対象は6Aボス八意永琳のテーマです。
間隔あいた割には、前回の内容に見劣りしてしまう気がしますがどうかご了承を。


まずは曲の構成を見ていくことにしよう。

パワーサウンドからピアノアルペジオによるイントロ

ブラス主旋律とアルペジオ乱舞

硬い3拍子と凶悪なrit.

瞬間的な久遠の無音(残響)

ブラスにより導かれし旋律、そして高みへ

(以降ループ)


イントロでいきなり平行5度で強力に各パートが動きだす。
80年代、90年代初頭のSLGなどで聞きなじんだような、どこと無く懐かしい進行である。
その力強さがラスボスとしての永琳を最初に印象付ける要素であろう。
その後、ピアノのみが主旋律を軽く(しかし、軽快とは違うような)アルペジオで駆け上っていくのである。
同時に強烈なリタルダンド(だんだん遅く)を伴いながら、Aメロディへと導入されていくのである。
このリタルダンドの間に、聞き手の中には不思議とエネルギーが溜めまれてゆく。


そのAメロでは、イントロのリタルダンドで蓄積されたエネルギーを、ブラス(トランペット)の主旋律により解放している。
聞き手はこの瞬間永琳の音楽(そして弾幕)に魅了されているといっても過言ではないだろう。
楽曲という秘薬によって、永琳の世界へと誘われていく。
この効果はヴォヤージュ1969のそれとほぼ同様と考えていいだろう。
ラスボス戦なはずなのに、とてつもなく爽快な印象を受けたはずである。


ここで、夜一夜樂団からコメントを抜粋してみる。

ありえない程勇ましかったり、激しかったり、爽やかだったり。
一つだけ共通しているテーマは、物凄く馬鹿みたいに元気である事。
元気と馬鹿だけがラスボスの取得なんですから(えー)

永琳=元気と馬鹿だけが取得、というコメントについては判断に困ってしまうが、
その前の行に記されているテーマについては、十二分に表現されているといえようか。


さて、1:15付近で軽く展開した後に3拍子系のリズムへと切り替わる。
この部分では先ほどまでの流れるような動き方を消したピアノも混じり、リズムを厳格決めてくる。
そして音程関係も5度のパワートーン主体であり、劇的なリタルダンドと組み合わされて
聞き手を強制的に楽曲に縛り付けてくる。


この直後高まる脳内麻薬、アドレナリンを開放するのが一瞬の残響・無音である。
リタルダンドから引っ張りつづけた内的な力、蓄積されたエネルギーを解放したイメージになる。
学校の授業で音楽を習っていた時に「休符も音楽をしている」という事を
先生などから言われていた記憶がある人も居るだろう。
まさにこの残響を楽しむ瞬間、動いていたモノが止まったかのような錯覚を覚えた人も居るかもしれない。
(しかしこの瞬間も音楽は動き続けているのだが)
この無音となった時間は実時間上では僅かではあるのだが、聞き手にはそれ以上の長さ〜場合によっては永遠〜を感じていることだろう。


この永遠と思われた無音空間をドラムが打ち破り、徐々に楽曲が動きを取り戻してくる。
それに伴い、緩んでいたリズムが徐々に締まり始めていく。そして最終的には冒頭へと回帰するのである。
動と静のバランスが絶妙な一瞬である。


また、ブレイク後にブラスの主旋律が帰ってくると同時に幻想パートが鳴り響く。
幻想、とは言うものの、今回は思いっきり電子音、FM音のようである。
音程のうねりを伴った鋸波と思しき音が聞こえるのである。
音の高低の変化に周期性があることを考えると、何かが自分の周りを(楕)円軌道か何かで飛行しているイメージが想像される。
地球と月という関係かもしれない。


(なお、この手の音を過去のゲームに求めたとき、自分が行き着いた先は"ギャラガ"などのファミコン初期STGにおける敵機飛来音だった。
月の住人から見たらアポロ号はやはり侵略者、インベーダーなのだろうか……?)




さて、この楽曲では今まで示してきた大きなテンポ変化だけでなく、それ以外の部分での小さなテンポの揺らぎがあるように思える。
このリズム操作は聞き手を楽曲に引き込むのに、絶大な効果を発揮していることはもはや言うまでも無いだろう。


ここで、この千年幻想郷の前後の曲を思い返してみると・・・・・・・・・機械的に同じリズムを刻み続けるヴォヤージュ系列なのだ。
6面の曲構成を端的に言い表すならばこうなるだろう。

  • ヴォヤージュ1969:無機質
  • 千年幻想郷:有機
  • ヴォヤージュ1970:超無機質

そう、千年幻想郷をはさむ事によってヴォヤージュ系の圧迫感を強めると同時に、ヴォヤージュ系にはさまれる事によって
千年幻想郷の生き生きとした音楽が冴え渡るようになっているはずである。
6面の道中曲とボス曲、相補う関係がそこにありそうである。




千年幻想郷、千年という時間でさえ、永遠に対しては微少量となってしまう
絶対的な永遠。しかしそれを確認する術は、いまだもって見つかっていない。