幻視の夜 〜 Ghostly Eyes

今日の雑考ネタは一面道中曲、幻視の夜 〜 Ghostly Eyes です。
この曲自体は蓮台野夜行にも収録されており、多くの方が実音(CD・Wave)を聴くことができる楽曲である。


夜一夜樂団の曲紹介コメントより抜粋

一面は軽快でノリのいい物が良いよなぁと思ってるんですが、これ、軽快かもしれないけどかなり暗いですよねぇ。
でも永夜抄は夜と妖怪のお話なので、暗く暗く。

楽曲としてはリズムを軽快に刻むハイハットとドラムが音楽を前へ前へと推進する効果を発揮する。
主旋律(とオクターブユニゾン)を鳴らすピアノ(&チェンバロ?)が音楽の躍動感を与え、その下支えをベースが行う形となっている。


おそらく16ビートの刻みを取っ払えば音楽は停滞してしまうだろうし、その結果永夜抄というお話の導入部にしていわゆる「終わってしまった感」を出してしまうのだろう。
話の始まりなんだから、これからの展開を予感させる音楽がふさわしい。
それならばその風景を彩る音楽がが停滞していて良い訳が無いはずである。


次に、オクターブユニゾンの存在によって楽曲に重みと堅さを与えている。
これは人間が恐れている闇と夜という不動の存在を聴き手に感じさせるだろう。
(現代の人間は電気によって闇を払いのけているが、やはりそこにも闇は存在する。古代には人が踏み入れることが無かった闇夜、だからこそ夜は幻想空間なのだろうか。)
この役割は、低音部で音楽を支えるベースラインの強い主張にも当てはまるだろう。
反復する音形の下降によって重厚感と不安感を増幅することが出来ている。


そしてここにアクセントとなるのが幻想パートである。
幻想パートを担う音は聴けば明確に分るはずで、高音部でふよふよいっているあの音が該当するだろう。
蓮台野夜行が発売された)当初、あの音は何かしら得体の知れない物体の浮遊音かと思っていた。それこそ幽霊、人魂かまた何かか、といった具合である。
それが東方永夜抄のゲーム画面を見て一転、蛍の飛翔を音で表現したのではないかと。


蛍が居る秋の夜の平原はまさに幻想空間である。
中空を舞う光の蟲、点いては消える黄色い点。そして平原を吹き抜ける冷たい風。
星空のもと、一人たたずむ者だけが知っている幻想空間。
まさに一瞬で秋の平原世界に引き込む力を持った楽曲といえるだろう。
そう言う意味でこの楽曲は永夜抄への導入として十分な威力を発揮することになったのだろう。


夜は人が踏み入れることのなかった空間、恐れと不安で覆われた未開の地。
その夜に住まう妖怪どもに人が出会うのは、まさに未知との遭遇
それがまた夜の深さ、恐ろしさを人に植え付ける………。
昼があるから夜がある、光があるから闇がある。
現代はその境界が曖昧になっているのかもしれない。
目に見える闇が減ったが、心に巣食う闇は変わることはないのかもしれない。


余談:そういえば蓬莱人形も蓮台野夜行も5トラック目の開幕が風の吹き抜ける音になっているとは、単なる偶然か。