歌詞と呪文

図ったかのようなタイミングで歌詞がアップされていた事をきっかけに、
先週思いついていた雑考が丁度まとまってしまったのでアップ。


STG・音楽CD共に)東方の音楽に無かったもの、それは歌詞ですね。
歌詞を載せやすい楽曲が往々にしてある中で、実際に歌曲というものが無いのには
いろいろな事情があることなのでしょう。
(もともと歌がBGMであるようなSTGって、指折って数えられるくらいでしょうか)


では今回の雑考のメイン部分へ行きます。その話題への導入のために
丁度つきなさんが述べているコメントを拝借することにします。

歌詞カードと書いてスペルカードと読ませたいのですよ。

このコメントは以前から載せられてはいたのですが、かなり真をついている言葉だと思っています。
歌の歌詞とは言霊であり、呪文でもある、と考えることができるからです。


音楽と呪文は切っても切れない深い関係があるとおもいます。
古くから伝承されているまじない歌は、歌詞にこめられた願いがかなう事を祈る歌です。
「痛いの痛いの飛んでけ〜」などもある種の簡単なまじない歌でもあるでしょう。
世界各地の民族ごとに伝わる伝承歌などの一部も、その好例ですね。
アイヌの歌はかなり色濃く反映されていると思います)


音楽と呪文が密接に関与した最たる例が宗教曲などになるでしょう。
教会音楽というものは、その本質を「神を讃える」という部分においています。
ミサ曲になればKirieからAgnus Deiという一連の流れをもって(主にキリスト教の)神を崇め奉る物になるのです。
また、日本の神楽のような神道と密着した邦楽も「神を奉る」という部分では共通しているのかもしれません。
そして仏教の音楽として知られているのが声明、というように歌詞が呪文を構築しているのです。


歌詞が呪文と関連しているように、音楽自体もまた、そのような呪文的な役割を果たしていることになる。
人間の力ではどうすることもできない、超自然的な(ある意味で神とすることも出来るような)現象を
どうにか顕現することが出来ないか、その役目を果たすものが音楽であろう。
そして、東方の名を冠する音楽では、この表現分野が特化されていると考えられるだろう。


本来の歌詞が持つべき役割とは、人間の能力を超えた超自然的な現象に対する畏怖と尊敬を表すとともに、
超自然的な現象を再現しようと試みるための手段である、ということでしょうか。


それゆえに呪文となる歌詞の取り扱いは非常に難しいでしょう。
それは言葉として発することによって意味が限定されるので、その目的を理解しやすくなる反面、
同時に意味を強く限定されてしまうからではないだろうか。
そして楽曲にあわせて歌詞を載せる場合、この事が非常に効いてくるはずでしょう。
(だからといって、歌詞を載せることに自分が否定的な考えを持っているわけではない事を示しておく)


最後に東方の場合、おそらく楽曲一つ一つがスペルカードと見たほうがよいのではないだろうか。
東方を表現するためのひとつのオマジナイ、式化された音響学的アプローチ、それが東方の音楽だと思えて仕方が無い。


すでに東方を表現する楽曲に新たなオマジナイを載せ、新たな東方を映し出す………これはやはり興味深いと同時に面白いはずだ。