創作と最小値問題

今回は上海アリス幻樂団の3/24付日記を読んで思ったことを書いてみる。


その日記の内容の一部を纏めるとこうなるであろう。

  • 調整は個々のパラメータを徐々に動かすのではなく、やりすぎと思えるくらいにするのが丁度良い。
  • やりすぎと思える調整によって結果はおのずと最良(と考えられるよう)な位置へと収束する………。
  • また、バグフィックスが終わった時点で他人から見れば作品が完成したかのように思える。


そんな馬鹿なと思う方もいるかもしれないが、自分にもこれと似た体験をしたことがあった。
それは私が所属していた音楽サークルでのことである。


一通り他パートとのアンサンブルをとおし、楽曲を止まることなく演奏できる状態になったあとの事、
その楽曲の表情付けをどうするかという問題である。
楽譜上の音符・音楽記号をただそのまま演奏しただけでは、(少なくとも他人に影響を与えられるような)音楽とはなりえない。
その楽譜に記述されている音楽記号から、楽譜には記述されていない心情・風景などを読み取る必要がある。
読み取った後は、その心情・風景をいかにして楽器を用いて表現するか、ということを試行錯誤する。
その試行錯誤も、各回ごとに全く異なったアプローチで、それも過剰な表現と分かっていながら行ってみるのである。
一見すると不規則かつ非効率的な手法のように思えるが、
最終的に楽曲表現のバランスが非常に程よく調整された形になっていたのである。
(この試行錯誤期間が長ければ長いほど後々いいものに仕上がることが殆どであった)


このようなバランス調整過程における最安定点の発掘はゲームや音楽等に限った話ではないだろう。
数学で「整関数の最大・最小問題」というのがある。
その解法は大雑把にはその関数を微分して極値を計算した後、
考えている関数の区間の両端と(区間内の)極値を比較するという物である。
ここで、定義される区間が異なれば最大・最小値も変化する、ということが意味を持つ。


ここで極小値と最小値について考えてみる。
極小値とは関数の曲線(あるいは曲面)のくぼみのことである。
確かにそのくぼみのごく近くでは、極小値が最小値となるかもしれない。
しかし定義される範囲が拡大した場合、そのくぼみを下回る部分が出てくることもあり得るのだ。
もし、ここで考えている区間を広げることをしなければ、そのくぼみ以下の部分を発見できないことになる。
端的にいればそれ以上展開する可能性を放棄することに繋がるのである。
しかし、逆に区間を拡張しすぎた(無限とした)場合には、収束先を見つけることが出来ないこともありうる。


このようにバランス調整というのには可能性の探求という要素が含まれている。
その可能性をどこまで考慮に入れるか、ということにシビアになる必要があるかもしれない。
収束点の探求は各人の行うべきものであり、そしてその良し悪しが作品に与える影響が絶大である。
このことを念頭において行動する必要があると思う。





うわ〜今回も長文&駄文っぽ。
そして私のNormalスコアはどこで収束するんだろう………。