疲れたときに出る、謎長文

就職活動では、自分は手加減をせず自分を相手に表現して理解してもらう事、
そして企業側に"この人と縁がある"と思わせることが出来るか、それが重要らしい


手加減というもの、それは自分を知り、相手を知った上で初めてなせる技術である
武道における組手稽古などで、高段者が相手を引き立てながら
相手のためになる稽古をつけることが出来るのは、このためだろう


ところが、このような手加減はそう簡単なものではない
手加減とは、そもそも自分と相手の力量を鑑みて、自分の技が100%の効果を発揮して
相手を打ち倒さないようにするときに使うもの、とすることが出来るだろう
力量が逆転している場合は、当然であるが手加減になりえるはずもない


さらに、相手のことを十分に知らないで手を出せば、
大丈夫と思って加えた力で相手を傷つけてしまうかもしれない
ましてや自分のことを知らないで手をだすのは、手加減以前の問題になってしまう


では手加減とはどうすれば出来るのだろうか?
まずは自分を知ること、これが第一歩だろう
自分を知るということにに手加減・甘えがあっては、いつまでも先に進めないはずだ


そして、多くのものを知る、理解しようと試みる
人と交わる経験が多ければ多いほど、自分を知る機会は増えるし、相手も知れる
価値観を共有しろ、と強制するわけではない、そういう考え方もあるものだと
知るだけでも、以後の幅が広がっていくはず
やっぱり出会いの偶然は生かすに越したことはない


さて、ここまでは手加減について考えてきたが、それを就職活動とリンクさせてみる


「就職活動はお見合い・縁結び」という言葉を聞いたことがあるが
まさにそのとおりだと、最近痛感している


企業にとってみれば今後何年、何十年にわたって一緒に事業を行う人間を選ぶわけだから
それこそ最高のパートナー探しをしているといっても過言ではないだろう
社会での活動経験の浅い(もしくは無い)人間のなかから人材を選ぶのだから
人を見る目はそれこそ上なわけである


つまり、就職活動をする側にとって見れば、相手の方が上手なのだ
人材選びのプロが相手なのだから、そこには当然手加減なぞありえない
全力で自分を表現して、相手に理解してもらおうと努めることこそ、
就職活動をする側がとるべき態度だと思う
(昨日までの自分の就職活動を振り返って、自分をしることに手加減・甘えがあったらしい)




っと、いつもどおり疲れた脳みそだと、黒め&激長文になるなぁ