時遊戯画さんの5/18日記への私信のつもりが雑考気味に

創作は演奏会と同じ、ですか。実は私も結構似たような考えを持っていたりします。


それぞれのパートが忠実に役割を発揮し、そしてコンダクターが全体の指揮を執る、
職人と創作者の関係を見事に切り出していますね。
そして聴衆がいて始めて演奏会として成立するのも、創作活動と符合しますね。
その音楽を聴きたいから演奏会に行く、まさに自発的な行動ですね。
(一部には"お付き合い"などで参加すると言う非建設的なことも有りますが)
そもそも演奏会とは音楽創作活動を発表する場なのだから、当然なのかもしれませんね。
また、人間が演じるという事によって、仮に同じ楽曲を用いたとしても、全く同一のものは二度として再現できないのも面白いと思います。まさに演奏は生ものです。
さらには、楽曲の作曲者をおくとコンダクターでさえ職人となりうる、これも面白いと思います。


で、それぞれが自分の身分を把握し、最善を尽くすことが演奏会を成功さるためには不可欠でしょう。
演奏者は楽曲に秘められた音楽性を読み取り、自分の持てる技術を発揮して最高の音楽を奏で、指揮者に託すこと、
指揮者は演奏者が持つ音楽性のポテンシャル全てを引き出すための指揮をし、楽曲としてまとめ上げ聴衆に提供すること。
聴衆はその音楽に対して掛け値ナシに楽しみ、率直な感想を述べること。
これらがすべて正常に機能して初めていい演奏会になると思っていたりします。


で、人間というものはどうしても、二者間にある感覚の違いというのを認識し損ねる場合があると思う。
それは職人と創作者の間でも起こりうる。
そして職人が創作者の意を超えて活動してしまうことも、まま起きてしまうのだろう。
作曲者の解釈を越え、指揮者が己の音楽性をそこに介在させることなどもしかしたら該当してしまうのかもしれない。
それによって二つの音楽性が混在することになる。
指揮者の音楽性については指揮者=創作者となるが、元の楽曲の音楽性はやはり作曲者=指揮者となってしまう。
コレがある意味面白いのかもしれない。


自分が職人であり創作者である場合、その両者のバランス感覚が重要なのでしょうか。


って何やらこの文章、あのおまけテキストと被っているような(滅